追手門
住所 | 〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町内 |
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概要
筒井順慶が織田信長の後援によって、松永弾正久秀を破り、宿願の大和統一の偉業をなし遂げて、天正八年(1580年)11月12日郡山にはいり、築城に着手している。しかし、本格的な郡山築城は、天正十三年(1585年)9月に、大和、和泉、紀伊三ヶ国の太守として豊臣秀長が知行高百万石をもって入城してからのことである。そのとき追手門もこの場所に築かれたものと思われる。
享保九年(1724年)3月11日、禁裡守護の大任を帯びて十五万石余をもって甲府城から郡山に移封なった柳澤甲斐守吉里は、一庵丸門を梅林門と名を替える。城は美濃守信鴻、甲斐守保光、保泰、保興、保申とうけ継がれ明治維新を迎えて廃城となり、すべての建物は取り払われてしまった。近時郡山城復興の声が高まり、第一次として昭和58年、市民の手による追手門が秀長築城にふさわしい姿で再建された。
アクセス
電車:近鉄橿原線近鉄郡山駅より徒歩10分
JR大和路線郡山駅より徒歩20分
JR大和路線郡山駅より徒歩20分